毎日新聞2005年3月17日「記者の目」(渡辺雅春記者)への反論


この記事は、「ライブドア堀江貴文社長への反論」と題されたもので、同氏の『ジャーナリズムは(中略)今は必要ないと私は言い切ってもいいと思う』(『 』付きは本文からの引用、以下同じ)との発言を受けたものである。
要旨は、大方次の通りになる。


・『ジャーナリズムは、自由で公正な社会を実現するため、人々に必要な情報を提供すること』
・『その機能がはっきりと現れるのが調査報道』
 ・毎日のスクープである、「旧石器発掘捏造」問題や「防衛庁リスト」問題によって、日本考古学のあり方や個人情報保護法案の内容が変わった。
 ・米ワシントン・ポスト紙のウォーターゲート報道など、調査報道によって不正が暴かれた例は枚挙に暇が無い
・確かに『新聞が今、ジャーナリズムを十分に発揮している』とは言い難い。
・しかし、インターネットのニュースサイトの情報は新聞に依拠している。(新聞の役割はまだまだ残っている)
・そして、blogなど、『インターネットもジャーナリズム的機能を担う可能性はある。』
・だが、調査報道など、『組織的、継続的に社会をウオッチし、報道を続けることがブログでは不可能だ。』
・『情報を集め、裏付けを取り、その事実が社会にどのような影響を与えるのかを考慮して報道するのは、訓練を積んだプロのジャーナリストでなければできない。』
・『社会は倫理観と責任感を持ったジャーナリズム』(=新聞)『を必要としている。』


ブログという文言が目に入ったので読んでみたが、呆れた。私は報道の道に進んだ人間は通常より早く頭が悪くなるのではないかと思っていたが、これも実例ではないかとさえ思った。


まず、大手マスメディアは人々に必要な情報を提供してはいまい。
例えば、最近流行りの「人権保護法案」について。マスメディアでは「報道規制言論弾圧だ反対だ」としか報道していないし、それに追随してしまっている人も多い。
(例:http://blog.newsch.net/home/zk1/ ちょんまげ党
しかし、「人権保護法案」本当に怖いところは、人権擁護委員とやらが、自分の判断だけで家宅捜査や逮捕を行えるというところにある。こちらも言論弾圧と同程度かあるいはそれ以上に、国民にとって現実的脅威となりうるのではないか。
(詳しくはhttp://www.ne.jp/asahi/asame/shinbun/haian.html 人権擁護法案10年史 とか)
毎日新聞はそれをほとんど報道していないのでは無いだろうか。少なくとも私は見た覚えは無い。民主党のある議員の質問の内容にあった、という報道だけだったように思われる。


次に、『組織的、継続的に社会をウオッチし、報道を続けることがブログでは不可能だ。』との意見にも反対したい。
マスメディアは、アフガニスタンの現状を今年に入って一度でも報道したか? イラク自衛隊は今何をしているのかも同様だ。
むしろ、継続性が無いのはマスメディアの方であって、blogの短所と言い切る前にそれを修正すべきだ。


最後に、縦にブチヌキ大文字で書いてあった『ブログに使命感はあるのか』という反語について意見しておく。
我々は(少なくとも私は)、既得権益を守るために汲々とするマスメディアが報道しない事実を暴き、改めさせるために、怒りをもって(社会的な)記事を書いている。
例えば、記者クラブという代物は何だ? 馴れ合い所帯では公正な報道など不可能だろう。
現在のマスメディアにブログの報道性を非難できる権利があるとは到底思えない。存続を求めるなら研鑚を積め。それが嫌なら解散しろ。