傍観者効果と時間給

サンダーバード車内での強姦について、ネット各所で「ありゃ傍観者効果っつーんだよしかたねーだろマスゴミが」という論調で、新聞だのテレビだのに対して鬼の首をまた取ったみたいな騒ぎをしているけど、何してるんやろなーって。誇張ありの個人的な実感なんでここに突っ込まれても困るけどね。

個人的な体験を話してみよう。
思い返すも一月ほど前、阪急に乗っていたときのこと。女性が一人、ヘッドフォンから大音量で音楽垂れ流しで座ってて、「あーうざいなー、終点まで一緒やったら最悪やなー、乗る車両変えようかなー」とか思ってたところに、一人の男性が登場。うっさいねん、みたいに喧嘩腰で迫り、その後は女性が音量を下げるも今度は言葉遣いだの、身体に触れた触れてないだのという騒ぎとなり、男性が警察に電話して次の駅で二人で降りて行きました。その間、車内は放置ですよ、当然。

私も注意しなかったクチですが、それは何故かって、時間に追われていたからです。バイトに行く途中でして。もし巻き込まれて時間をとられることになったら、バイトに遅刻or欠席、バイト先とかに多大な迷惑がかかるし、自分もそのバイトを続けられるかというのが問題になってくる。自分の我慢でその可能性が低くなるのであれば、我慢する。そんな話です。言い訳に聞こえたらすまんね。

「時は金なり」=“Time is money.”てな言葉が出てきたのは18世紀になってから、つまり産業革命後のお話。産業革命以前以後で変わったものってのは多いけど、時間に対する感覚もその一つ。サラリー=時間給ってのが出てきたの。ほいでもって、時間が金に換算できるようになった。

で、翻って最近の動向に眼を移せば、ホワイトカラー・エグゼプションなんでのはまさにその流れにのってる。サラリーってのは近代的な概念で、時間に対して賃金を払うことになってるけどそれっておかしくね? 生産した成果に対して報酬を払おうや、ってものがWEの本質って考える。すると、それは完璧にポストモダンってことなんだじゃないかね。

特急で起きた強姦事件ってのは、いわゆる「資本主義社会のひずみ」ってやつになるんだろうな。自分の金は惜しいからなるべく払わない。変えなきゃならんのは、電車で通勤するような一般労働者じゃなくて、会社の車で通勤するような雇用者側の意識なんじゃないかね。人助けして遅刻だとしても遅刻は遅刻だっていう意識をね。そんな意識、近代に入ってできたシロモンなんだから、疑ってかかっていいんじゃないかね?


「時は金なり」については
「くろご式ことわざ辞典」http://www.geocities.jp/tomomi965/kotowaza08/08-41-1.html
強姦事件に関しては
「Birth of Blues」http://blog.livedoor.jp/kingcurtis/archives/50374049.html
「日本の片隅で「バカ!」と叫ぶ」http://ameblo.jp/nakasan1960/entry-10031664260.html
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