『マリア様がみてる 大きな扉 小さな鍵』(今野緒雪)感想

物悲しい美しさってのがある。
大体が滅び行くものを描写することで美を感じるんだけれど。
代表的なものは、桜、ですかね。
文学作品では『平家物語』でも挙げておきますか。


近作『マリア様がみてる 大きな扉 小さな鍵』でも、物悲しい美しさがあると思うのです。


瞳子? いいえ違います。
彼女は選挙において、負けるために戦います。非常に醜い。
負けるとわかっていてもそれでもなお一縷の望みをかけて戦うものが美しい。
逆に言えば、瞳子は醜くもがき苦しむからこそ良いのだと思います。
それがシリーズ内における彼女の役割であろうと思いますし、なにせある人は言ったではありませんか。「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」と。
今作において瞳子の背景も多少明らかになったことですし、一抹の歓喜=ゴール=祐巳の妹問題決着へと、さらなる苦悩を積み重ねて、またそれを突き抜けていって頂きたいものです。


閑話休題
さて、では一縷の望みをかけて戦い敗れたのは誰なんだ、という本線ですが。
演劇部の部長。名前ありましたっけ?
おそらく彼女にとって、あの告白(というか申し出)はかなりの勇気が必要だったんだろうなーと。
リリアンではどうか知らないけど、一般的にココロが体育会系である演劇部において、
その部長がまだ妹をもっていなかったことが不思議ではあるんだけど。
あとは、利「部」的な意図があるんじゃないかって疑えるっていっちゃそうなんだけど。
彼女は千載一遇のチャンスを逃さず勇気をもって戦いに挑み、敗れた。


美しいじゃありませんか。